真三國志−不良青年玄徳の言い分−



2008年04月14日(Mon)
真三國志−不良青年玄徳の言い分−
 劉備の生きた時代。
 それは400年余り続いた漢帝国が完全に腐り切ったそんな時代であった。
 皇帝の身の回りの人間である「宦官」と呼ばれる去勢された男達が、権力をふるう時代であった。
 時の皇帝「霊帝」は、政治的関心がないのか面倒なことを彼らに任せ切ってしまったのだ。
 彼らは王の周りを固めることで、自分達の意のままに政治を動かしていた。
 そしてそこには賄賂や栄達のため、あるいは自らの理を得るために汚職をする者達ばかりが集まり、彼らの意に沿わない者達は罪をかぶせて排除していった。

 そう言う時代であるからこそ、地方の者達は裏金を作ったり、税を重くしたり、あるいは罪をかぶせ略奪まがいに家財を没収したりして、自らの保身や栄達のために宦官に賄賂を貢いでいったのだ。
 その結果人々の生活は困窮し、また努力したとしてもそのような理不尽で奪われるような有様であったから、人々は働く意志を失い、あるいはゆがんだ政治や重い税から逃れるために逃れるために逃亡したり、あるいは山賊となり政治の者達のやっていることを非合法的にやるような事をしていった。
 そんな時代だからこそ
 「真面目に働くのが馬鹿ったい」
 と若者達が思うのは無理がないと玄徳は思っている。

 現実に、玄徳が一族者を頼り街の役人になれることは可能であった。しかし、逆に役人になった所で、言いようにこき使われ、身の振り方を間違えるようなら、殺され限らないのである。
 「それこそ犬死だ」
 としか思えないのである。
 だからこそ、都でそれなりの学閥である廬植の門下に連ねることが出来たのだが、真面目に勉強をする気にもなれなかった。真面目に勉強した所でそんな事なら頑張っても意味がないと思うのである。

 都で勉学を積んだ者として一目置いて貰え、街の有力者と話すことが出来たり、あるいはこの若者のように、賢者として頼られるという面では便利なので、一生懸命勉強して、それなりの知識を披露することはあったが、孫子や儒学や政治など興味も持てず、むしろ馬など実際に役立つ物にしか玄徳は興味が無かったのである。

 (まして黄巾の輩がいつ襲ってきて、自分達の頑張って手に入れた物を、いつ夜盗のように根こそぎ持って行くか分からないのに)
 例えば一生懸命畑を耕し、穀物を収穫したとしても、奴らが現れたら全部奪われる。どうせ奪われるなら誰が一生懸命頑張る気になれるのだろうか。

  

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カレンダ
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