月姫抄

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2008年07月19日(Sat)▲ページの先頭へ
月姫抄11
 それ以上に今は信長の軍と主様の軍が戦っている最中である。余所者の中に信長の手のものが入り込んでも不思議がない状況である。
 どう見ても怪しいとしか思えないほど、うさんくさい男をどうして身の回りに置かなければならないのだろうか。
 「なにとぞお願い申し上げます。上方には知り合いも多く絶対に月姫様にはご損はさせません。なにとぞなにとぞ。」
 まるで詐欺師のような台詞を並べ、おかしくなるほど年上の男が頭を下げる。余計嘘っぽく聞こえてはいるものの、その様子には騙す者の陰湿な感じはなく、狂言を見せられているような滑稽さがあって、自然に気難しさを見せてしまう月姫の口元を緩ませてしまう。
 (まぁ……いいか。)
 明らかに怪しい人間よりも陰で何を考えているか分からない人間を置く方が、余程危険が多いかも知れない。何より、この男には武士が持つ人を殺す事に対する傲慢さや罪悪感が無い事や、男である事や武士である事への虚栄心が無い事、子供のように欲望や行動に純真な所は、側にいて不快な感情を持たせないのである。
 「折角の維盛殿の申し出であるから。いつもいつもご厚意をお断りして居るのだから、ありがたくお受けしたいと思います。ただ……」
 そう言いかけて月姫は心の中で呟く。
 (一つどうしても気に沿わない事がある。)
 浦島家家中の者が全て信長の海軍などに負けないと思っているのに、維盛だけはそう思っていない。のである。
 「まあ、よい。それでお主はなんと呼べばよい。」
 月姫が男に問いかけると、男は顔を上げニコニコと見つめ「それは月姫様が、お好きに呼んで下されば結構です。」と言ってへらへらしている。
 (……、普通。身分が低い者はおそれおおくて顔を上げてジロジロ値踏みするような失礼なまねはせぬのに、この男は厚かましいな。)
 「じゃあ@禿げネズミ
     A色魔ザル
     Bスケベジジィ 折角だからこの中で好きな物を選んで下されれば……。」


2008年06月30日(Mon)▲ページの先頭へ
月姫抄10
 そう思ったからこそ、道理を説いてそれを封じる。
 「されど、今は主が遠くで戦場にいる最中に戦勝の神事でなき場所にて踊るのは、不謹慎でござりましょう。
 お誘いはうれしいのですがそのようなことをされては後日主殿に『病なのに舞を見る余裕があるのなら、戦に赴かれればよかろう』とお父上に申されることでございましょう。」
 (だから辞めた方がイイですよ。)
 と、逃げるように維盛に背を向き立ち去ろうとする。
 「あいやっまたれぃ」
 そうしようとした月姫に対して大きな声が突然掛けられる。維盛は何回も誘いを掛けられるが(←ことごとく玉砕)そんな形で、呼び止められたことはない。振り向けばあの小柄で貧相で禿げネズミのような維盛の従者が前に進み出る。
 (びっくりした。)
 綺麗物好きの維盛殿にしてはどえらく百姓じみた薄汚い下品な感じがする男を側に置くと思ってはいたが、声は大きく、小柄な体にもかかわらず立ち振る舞いは立派で大きく見える。なにより絶えず笑顔を海の波のように讃え続け、月姫が目を向けても目は猫のように細めても堂々と温かくそれを受け止めている。
 はっきり言って、この従者の方が維盛よりも度量が大きく、下手をすればこっちの貧相な男の方がよっぽど月姫には主に見えてしまう。
 (家中にこのような物が居たのか?)
 「どこの者じゃ。」
 静かな、でも押し殺したような声で直接従者へ月姫は問いかける。
 凛として綺麗な声でありながら、言われた男にとっては刃物を突き立てるような、一瞬の隙もない言葉に聞こえる。
 だが男は、人を食ったように微笑み続け甘んじてその刃と向かい合う。
 まるでどんな刃を振りかざしても、倒れぬと言わんばかりに堂々としていて。
 そんな二人の心の刃の斬り合いをぼんやり見ていた維盛は慌てて助け船を出す。
 「月姫、この者は我らと商いのある京の茶屋宗永殿が日頃のお礼に小者を一人使っていただくようよこして。
 月姫どのには周りにはお付きの巫女は居ますが身辺を守る男手が居ない上、是非にこの者をおそばにお使いいただきたい。と」
 「この男をか?」
 そう言われても、護ってくれるはずの男の方がスケベそうな笑みを隠すことなく陽気に浮かべており、却って月姫には身の危険を感じる。


2008年06月20日(Fri)▲ページの先頭へ
月姫抄
 不意に月姫は挑発的にじっと見つめ問いかける。
 「それは……、父上が病気であるし、瀬戸内にはこの戦いの最中でも多くの船が行き交うのだから、それらの運行を守ったり、通行税を徴収したり……それらも戦場で戦うのとおなじくらい大切な事である故。
 まして我らが留守を守っているからこそ、主殿も安心して戦えるのでございます。」
 「左様か。」
 なるほど維盛の口上は立派な物であるが、すぐに顔を伏せ言葉とは裏腹に語尾もしっかりせずおどおどして心許ない返事をするものである。
 そういえば先代は東の庄戸、西の印野と呼ばれ海では豪勇を誇ったものの維盛の父も年をとった所為からか、戦をいやがるようになり数年前から始まった信長の戦いには病気であることを理由に守備の方に回っている。
 維盛自体は、そのことに対して負い目を感じているからそのような様子ではあるが、だからといって戦に積極的に加わるというのは生来見せることはなく、もっぱら笛や衣装や商いの方にのみ感心が向かっていたのだ。
 (笛を吹く指も女の私よりも綺麗な指をしているし。)
 「ところで何用なのだ?」
 まさか維盛も月姫に皮肉を言われて近付いた訳ではあるまいと思い声を掛ける。
 「月姫に願いがあって。」
 「……願い?」
 「病床の父上の為に回復祈願のために舞って欲しいのだ。」
 そう言って、彼女の袖許をつかみ丁寧に頭を下げる。
 (私などに対して、どうしてそんな風に維盛は頭を下げるのだ。)
 確かに月姫は生き神として、立場的には上に置いてくれるのであるが、実際は須江氏の捕虜という立場である。だからこそ、浦島の家臣達の目も蔑視で見ているのであるが、この実力者の長男坊だけはいつも誠実に丁寧に対峙してくれるのである。
 「その時に、月姫にどうしても話したいことがあるのだ。だから頼むから、我が砦に赴いてはくれぬか。
 豪華な料理も用意する。堺から取り寄せた美しき衣装も用意して居る。だから是非。」
 何かと熱くこの殿方は誘ってはくれる。もしかしたら、先程の舞で色々暗くなっている月姫のことを思ってくれてなのかもしれないが、当の本人はそう言う優しさに対しては鈍感であり無頓着な性格であった。
 (とはいえ、どうせ戦に出たくないからの病気にどうして舞わねばなるまい。)


2008年06月05日(Thu)▲ページの先頭へ
月姫抄9
 そう月姫は自嘲しながら、先ほど舞った舞台の更に上の上の館の方を見上げ、今一度過去に思いをはす。
 (お館から聞こえたあの笛の音。水のように限りなく澄んでいながら、深い悲しみが込められたあの音色。)
 月姫が建前賓客と言う形式を取りながら、実際には須江氏の捕虜としてさらし者に遭うかのように、浦島の主に舞の披露を最初に命じられた時、ふとそちらの方からあの音色が聞こえた。
 その笛の音色は悲しみを歌っているのに、時に音は強く、また正確で、嘆きだけはない物が感じられ、哀れみは全く持たなかった。だからこそ余計切ない……そんな苦しさを感じてその時涙が溢れるのを押さえられなくなりそうだった。

 「月姫殿もうお帰りですか。」
 そんな過去に月姫が思いを馳せていると、先程の舞で笛を伴奏してくれた武将印野維盛が、弟で鼓の名手である宗清とほっかむりをした貧相な顔の従者を連れ、藍色の鮮やかな衣装をはためかせ、息を切らせて駆け寄ってくる。
 印野氏は、浦島家に属する豪族の中では古くから堺と通じ豊かな一族であった。その三男維盛は生来派手好きで、女子のように綺麗な服を好んだ。また家中一の笛の名手と呼ばれており、真っ赤な笛を愛用して姫が舞うとき伴奏をすることが多く、時折その衣装の秀麗さが逆に月姫には閉口させたりするが、性格は単純で悪い感じを相手に持たせるタイプではない。普段から月姫に対しては何かと気を掛けてくれる。
 「先程の舞、他の姫君達に全く臆することなく毅然に踊りきる姿が、戦いに赴く姿と重なり……戦勝祈願の舞としては、ふさわしいお姿でしたな。」
そう言って維盛は声を掛けて喜ばせようとする。
 (甕姫といい、維盛いい……同情してくれるのはありがたいが、お世辞にしかならない。)
 それが本当でないからこそ、あの場の人達はああいう冷めたりあるいは侮蔑を含めた反応しかなかったのである。
 結局その程度でしかなく自分は、いくらむっとした所でくだらない存在なのだ。
 (私も、お互いを卑下し合うことで満足しているあの女達も結局下らぬのだ。ただ時代に巻き込まれ、男達が戦いにどうするかで自分達は何も出来ずに翻弄されていくのだから)
 「それなのに維盛は何故信長との戦いに行かぬのだ。」
 不意に月姫は挑発的にじっと見つめ問いかける。


2008年05月15日(Thu)▲ページの先頭へ
月姫抄7
 始めて暖かみのある感情のこもった声が優しく聞こえ、月姫は波に引き寄せられるようにその方向へと泳ぐ。そして彼が伸ばした手を素直に掴む。
 「大丈夫か」
 「はい。」
 素直に月姫も声に答え笑顔を見せる。それは始めて最期に親子らしいやりとりをした瞬間でもあった。手を握り彼の温かさを感じた瞬間、この男に対してずっと氷壁のように堅く冷たく隔てていた物が嘘のように見えなくなり、逆に熱い物が彼女の中からこみ上げてくるのを感じた。
 彼は神妙な面持ちで彼女に謝るかのように頭を下げる。
 「すまぬ敵は人ではなかった。千里を駆け神出鬼没の者だった。そうでなければ、我が策略があのような浦島の小僧に遅れなど取ることなど無かった。」
 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、酷く頭の傷を痛がりながら強く月姫の手を握る。
 「このままだと我か一族は滅びる。だが我が一族が浦島などの一党になどに滅びるなど言う事があってはならぬ。だから頼む、そなたの隠す天照鏡を」
 「天照鏡を……」
 その鏡は竜宮神社の本尊で、歴代の月姫が守り続けた者である。地を鎮め、禍を写し、伝説では特別な力で太陽を操り敵を破ったという伝説の神器である。
 「あの鏡は、足利も細川も三好も毛利も……全ての者達が喉から手が出るほど欲しい物。だから、それがあれば彼らも我らを疎略には扱いはせぬ。我が一門の復興もなしえる。だから頼む。」
 その言葉を月姫は一方では冷たく聞いていた。
 (頼むと言われて、答えられるほど私達は親子の情や恩があるというのか。)
 だからこそ、目の前の大人が図々しく、哀れであった。
 だがそんな冷静な感情とは別に彼女の口は目の前の男の願いを聞き入れて開く。
 「天照鏡のありかは……」
 「そうか。」
 全てを、月姫が語ったとき男が感謝として示した行動は酷く自分勝手で、意外な物であった。
 とっさに意識をする前に月姫は波に顔を伏せたが、それよりも前に火がかすめたような厚さを右目の少し上の方で感じ、男の手から自分の手を放す。
 同時に海の水がたくさん口の中に入り息が出来ず溺れそうになる。
 咳き込むように苦しいが、中に入った水でそれさえも許されない状態で何とか顔を見上げる。すると、もう一大刀目を喰らわせようとする男と目が合う。


2008年05月11日(Sun)▲ページの先頭へ
月姫抄−6−
 (それはまるで用意周到に準備された策略だったかのように。)
 更に浦島は追撃を加えた。攻めることばかりの備えしかしていない須江の水上の館は抵抗する間もなく火が放たれ、密かに内通していた者達や、両家の争いに中立を示した者達も束になり攻めまくり、その夜のうちに須江氏の滅亡は決したのだ。

 月姫には訳の分からないまま、逃げ延びる船に乗せられ、訳の分からないまま混乱する船に乗せられた。
 そして訳の分からないうちに火を掛けられ、訳の分からない人達の混乱が船のバランスを崩して、訳の分からないまま海に投げ出された。
 (そして、訳の分からないまま死に一生を終える。)
 光は全てを焼き尽くそうとする欲望の炎だけがはっきりと見える。
 (この世には、欲望の情念しかないかのように)
 彼女の命は真っ黒な海か、その炎に飲み込むその時を待つだけしかないようであった。

 そのとき懐かしい声が聞こえた。
 「月姫か……」
 「須江殿。」
 義理の父上。そして本当の両親から引き裂き、養女という名の下にこの命を須江の館に閉じこめた者の声。
 あの時以来数回しか会って居らず名ばかりの親子であり、一片の情を感じたことのない相手であったが、久しぶりに見た彼はあの時の……瀬戸内の守り神を手に入れたという自負と強い権力と傲慢な姿をのぞかせていたのに今はその様子はなく、敗北により酷く疲れて居る感じがした。そしてしがれた様は当主の威厳はなく弱さをさらけ出したままで、まだ年若の彼女に対して救いを求めるように声を掛ける。
 「早う、我が手を取りこちらへ寄れ。」


2008年04月24日(Thu)▲ページの先頭へ
月姫抄5
(祇園草舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。)
 世は応仁の乱以降戦乱。もう百年以上も戦乱が続く。多くの者が討ち滅ぼされ、死んでいく。その中に彼女が身を寄せている須江氏もいよいよ含まれる事になったのだ。
 その物語の一族と同じように戦に破れ海に全てが沈められるように、彼女も彼女の一族も戦いに敗れ海の藻屑になっていくだけなのだ。

 かつて栄華を誇った平家の人々と同じように、限りなく今日よりも明日へと繁栄の花を増やしていく事を養父達も信じていたのだろう。逆に言えば、その気持ちこそが平家と同じように一族の破滅へと導こうとする導火線であった。
 自らの保身のためであった浦島家との同盟を自ら破棄して、自ら破滅への暗黒へと道を選んだのだ。

 山陽の毛利家が尼子氏征伐に向かったとき、浦島家の当主は須江氏との同盟を信じてその戦での功名と新たな領土を求め戦いに毛利の将として従軍をした。
 だがそれこそは須江氏の長年望んだ好機であった。彼は同じ山陽の宇喜多氏や、尼子氏と機略を通じると共に、嵐の日を待って盟約を一方的に破ると、夜半には浦島家の当主の留守を狙い本拠地を突如襲った。不意打ちにより、浦島家の本体は遠くにありすぐに戦場を放棄して救援にこられる距離ではなく、須江氏が留守居の軍を撃破すると甕姫が守る城を陥落するのは時間の問題に思えた。
 相手の動揺を付いて敢えて須江は甕姫の前で降伏をするよう声を上げる。
 ところが、夜半突然居るはずのない浦島家の当主が攻め寄せる須江氏の背後に現れ急襲した。
 『まるで神か……』
 とても人とは思えない出来事に須江は驚いた。同時に尼子氏に向けた刃をそのまま向けられたと思い、雪崩をうって逃げ出した。


2008年04月17日(Thu)▲ページの先頭へ
月姫抄−3−
 「月姫殿。結構な舞でした。さぞや瀬戸の民達も神々もその舞に心揺り動かされたでしょう。」
 舞が終わると、側室で領主の寵愛をもっとも受けるといわれる甕姫から、労をねぎらわれるように声を掛けられた。
 彼女は正室の乙姫とは家柄が違うため下に置かれているが、古くからの浦島家の家臣庄戸氏の娘で、水軍の将達とは地元と言う事でつきあいが深く信頼が厚く、夫が今回のような遠征の折りには実質的な領主の妻として一切を取り仕切っていたのである。
 色黒で乙姫に較べれば気品とか器量とかは劣るが情愛に満ちた瞳を持った優しい容姿の女性であり、人の好みの違いはあるが魅力的な部分では決して引けを取らなかった。何より生命感溢れる立ち振る舞いは、海の男達を畏怖し、都育ちの正室には決して口を挟せないで力があった。
 また気質も聡明で周囲に対して配慮が出来る女性で、若く流転に運命を翻弄される月姫に対しても唯一周囲とは違い、いつも優しく接してくれるし、また領主の代行者として月姫の神に仕える巫女としての立場も重んじ立ててくれる。
 「さぁこちらでゆっくり体を休めてくだされ。」
 そう言ってこの時も立ち上がると自ら席をおり席を譲って上座の方に案内する。
 「瀬戸の守神として遠慮なされず上座にお座り下さい。」
 「・・・・いいえ、結構です。つづいて竜宮で戦勝の祈りをいたします故、屋敷へ戻らさせていただきます」
 甕姫の配慮は大変ありがたくはあったが、それを辞する。乙姫やその側女達が厳しい視線の中に飛び込むのは、まるで荒れ狂う海に飛び込むようで、悪意の視線の波に身を絡まれて光の届かぬ所まで飲み込まれそうである。他の者達も好奇の目で見たりするので、座ったとしても居心地が悪いだけに違いなかった。
 (こんな私への反感が一杯の屋敷の中に居ては、息が詰まりそうだ。
 気晴らしに早くここから出て、馬に乗り広く澄んだ海を見たい。)
 せっかくの温情に感謝の言葉も付け加えることはなく、さも用事が済んだと言わんばかりに形式的に頭を下げると、そそくさと背を向け広間を出て行く。


2008年04月11日(Fri)▲ページの先頭へ
月姫抄
 彼女は玉のような汗を強い日射しと重たい武具をまとい先勝祈願の舞を必死に演じる。
 歳を老いた武将はその舞の美しさに驚嘆し、老いた侍女は神々しい姿を前に織田信長との海戦に遠征に行く家族の無事を祈り目を瞑り、彼女の姿に手を合わせている。

 しかしその一方で、その場にいる人達の殆どの者が逆に彼女の舞を冷淡に見ていた。
 現に奥の上座で見ている女性達は、真剣な彼女とは反対に笑みを浮かべている。嘲りを込めた笑みである。そして、周りに聞こえるにもかかわらず、声に出して呟く。
 「戦勝の舞ですと・・・・、そんな物が本当に力があるのなら、香内氏・須江氏も滅びはしなかったでしょうに。殿も何故あのような凶女を大切にするのでしょうか。」
 「本当にそうですわ。このような舞を踊らなくとも我が無敵の水軍なら信長になど負けはしないでしょう。」
 口々に侍女達は悪口を言う。そしてその言いぐさと時より向ける視線はその横の中心にいる領主の正室の女性に同意を求めるようであった。

 その女性は一番高貴な着物をまとい、大人しそうな容姿と瀬戸内の水軍には不似合いの透き通るような異常なほど白い肌をしていた。また彼女は室町幕府の重臣の娘からこの浦島家へ嫁いだ・・・ということで京の雰囲気を身にまとい周囲の人物とは気品の面でも抜きん出ていた。
 彼女はじっと唇を噛みしめ、今にも斬りつけてきそうな敵意を込めた視線で舞とそれを演じる女を見ていてる。
 他の女達者達も笑みは浮かべているもののどこか作り物めいて、根底に流れる侍女同士の嫉妬や確執がそれぞれ目を合う度に心の刃をまじあわせている。

 華やかげな様子とは裏腹に、舞が美しいだの綺麗などとその演技を楽しむ空気は全くなかった。
 男達も盛んに耳打ちをし合いこの戦の今後の有り様や自分たちのみの振り方について情報を交わしているようである。
 そんな集中されない中で、一人月姫は周囲のざわめきや喧噪を気にする様子も見せずに何事もなく悪意の言葉達を心の中にしまい込んで、自らの舞を演じ切った。


2008年04月09日(Wed)▲ページの先頭へ
月姫抄−1
 浦戸の関にて先勝祈願の奉納の舞がおこなわれたのは、織田信長の軍と瀬戸内の水軍の決戦を目の前に控えた……ある真っ白な暑い日射しの中であった。
 その日射しと同じ、白の装束と具足をまとい剣を天へと向けながら舞台に上がった人物は、そのそばに控えた横笛の名手の笛の音に合わせて小さな体を大きく振る舞う。
 もしも戦いに出払った男達が、その剣の鋭さと身のこなしを見たのなら、かなりの剣の手練れの者とに思う程天賦の才を見出しただろう。
 舞手は堂々と毅然としたその仕草や鋭く空気を切り裂くような剣の舞う姿。
 にもかかわらず、強い日射しは溶け込みそうな程であったのはその堂々たる若武者という出で立ちには少し華奢な姿の所為であろうか。
 しかし華奢な事には理由があった。舞手は武将ではなく女性であった。
 更に正確に言うならば女性であって女性ではなかった。更に言うならば人間であって人間ではない存在であった。
 天照宮の神に仕える神女として、神に仕え人の幸せとは無縁の所で生きる事を女であった。

 名は月。月姫とよばれ瀬戸内水軍の守り神の鏡に従い、僅か十七という年齢でありながら、香内氏・須江氏・浦島氏と浦九郡島の支配者が代わる度に運命を流転した女性である。

 彼女は玉のような汗を強い日射しと重たい武具をまとい先勝祈願の舞を必死に演じる

つづく


   


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